日本ロボット学会誌 Vol.20 No.1 pp.35〜38,2002

ロボカップが提案する新たな研究開発管理手法

−− 遺伝的研究開発マネジメント −−

 

New Management System of Research and Development in RoboCup

-- Genetic Management System of Research and Development --

 


情報処理振興事業協会(IPA)セキュリティセンター 内藤理

IPA(Information-technology Promotion Agency, JAPAN)
              IT SECURITY CENTER Osamu Naito
            キーワード : Genetic, Management, Research, Development,
                RoboCup, NPO, Opensource, Bazar

 

 筆者は,経済産業省から情報処理振興事業協会(IPA)に出向しているいわゆるお役人の身であるが,研究室の後輩である松原仁さん(公立はこだて未来大学教授)のお誘いで,特定非営利活動法人ロボカップ日本委員会の設立と運営の事務のお手伝いをさせていただいている.
  NPOの活動は,役所のお堅い仕事に慣れている目には,実に新鮮に映る.特に,仕事柄,そこで採用されている研究開発の管理手法には,刮目すべきものがある.
  研究開発を効率的に管理し,少ない予算で短い期間に目標を達成するためには,研究開発に競争原理を導入することが有効であるとされているが,ロボカップにおいては,ナショナルプロジェクトに代表されるような従来の大規模研究開発プロジェクトにおいて用いられてきた管理手法(筆者は,計画主義的研究開発マネジメントと呼んでいる)とは全く異なる形で,競争原理が導入されている点で注目に値する.
  一方,我が国の研究開発を巡る状況を見ると,技術水準の国際比較において相対的な地位低下が生じているなど,一種の閉塞感が漂っていることは否めない.そのため,何らかのパラダイムシフトが期待されているところに,新しい研究開発の管理手法としてロボカップが登場して来たのである.
  本稿では,研究開発の効率化に関心のある方々に参考となることを期待して,ロボカップにおける研究開発の管理手法(筆者は,遺伝的研究開発マネジメントと呼んでいる)を紹介することとする.

 

T.ロボカップ手法の特徴

 ロボカップには,@夢の実現を目指すランドマーク・プロジェクト,A数十ヶ国にも広がる国際共同プロジェクト,B誰でも参加できる草の根プロジェクト,C研究成果が公表され他者が自由に利用・改造できるオープンソース方式,Dインターネットを活用した軽量な管理組織,E客観的に成果を評価する競争の場(競技会)の存在といった特徴がある.これらについて,簡単に説明することとしよう.

 

1.ランドマーク・プロジェクト

 アポロ計画が余りに有名であるが,ランドマーク・プロジェクトとは,立案時点では夢と考えられるような遠大かつ分かり易い目標を設定し,その目標に向かって多数の研究者が長期間従事するものであり,目標達成による経済効果を直接の目的とするものではない.
 ロボカップの目標も2050年までに完全自律型ヒューマノイド・チームでワールドカップ優勝の人間チームに勝利するという壮大なものであるが,関係者は,1903年のライト兄弟の初飛行から44年で音速を突破し,さらに22年でアポロ11号が月面着陸したことや,1946年に初めて誕生した電算機が51年でチェスの世界チャンピオンに勝利したことから,決して不可能な挑戦ではないと考えている.
 話題を集めている動的2足歩行技術についても,1979年に東大の下山勲教授が世界で初めて成功してから21年を経て,昨年,本田技研工業のASIMOやソニーのSDR-3Xが登場し,商品化の域に到達しようとしており,近い将来,走ることのできるロボットも登場することが期待できる.

 

2.国際共同プロジェクト

 国際サッカー連盟「FIFA」と同様に,スイスに国際委員会「The RoboCup Federation」が置かれ,その下に各国の国内委員会が連なる形態となっており,国際委員会「The RoboCup Federation」の定める競技ルールに従って,広範な研究者がロボカップの研究に取り組むようになっている.
 2001年8月4〜10日に米シアトル市で開催されたロボカップの第5回世界大会には,20ヶ国から105チームが参加した.今回の世界大会に参加できなかった研究者を含めると,現在,約35ヶ国で約3000人の研究者がロボカップに参加しているといわれている.このように正確なことがわからないのが次に述べる草の根プロジェクトの特徴でもある.

 

3.草の根プロジェクト

 ここでいう草の根プロジェクトとは,全体を統一する研究開発計画が存在せず,予算配分権や人事権を持った管理者もおらず,自由意志で集まった多数の研究者が各自の意図で研究開発に取り組むものである.これは,E.レイモンド氏が名著「伽藍とバザール」で示したバザール方式であり,代表例としては,コンピュータOSのLINUXがあまりに有名である.
 草の根プロジェクトにおいては,掲げるビジョンや目標が魅力的でない場合,そもそもプロジェクトは成立し得ないし,時の経過とともに陳腐化した場合にも参加していた研究者が離散していくことになる.結果として,技術的に意味のないプロジェクトは淘汰されてしまう.

 

4.オープンソース方式

 草の根プロジェクトを実施するための必要条件として,オープンソースがある.
 オープンソースとは,ソフトウェア開発の世界で広まった概念で,R.ストールマン氏が1985年に始めたGNUプロジェクトがその端緒であるとされている.オープンソースの概念を要約すると,ソースコードが公開されていること,改造の自由が許されていること,自由な再配布が認められていることであるが,必ずしも無料ということではなく,営利事業として取り組むことを否定するものではない.
 ロボカップの場合,そもそも研究開発段階であるため特許等の知的所有権は及ばないが,世界大会に出場するチームには,ソースコードの公開が義務付けられるとともに,併催する国際学会での論文発表も義務づけられており,ロボカップに関する毎年の研究成果を世界の研究者が共有できるようになっている.これにより,同じ土俵に立って,次の1年間,すべての研究者が研究開発を行えるようになっている.

 

5.インターネット時代の軽量組織

 全体を統一する研究開発計画が存在せず,予算配分権や人事権を持った管理者もいない草の根プロジェクトとはいえ,頻繁な情報交換と最小限の意思決定を行うためのヒューマンネットワークが必要である.
 35ヶ国3000人にも及ぶメンバーの所属機関を見ると大学が最も多く,公的試験研究機関や民間企業の研究所にも広がっている.さらには,企業経営者,マスコミ関係者及び官公庁職員といった研究開発に直接従事しない者にまで拡大している.
 このような広くて雑多なヒューマンネットワークを維持していくためには,従来ならば,情報伝達だけでも多大な労力と経費が必要になるところであるが,ロボカップでは,メーリングリスト等インターネットの活用により,専従職員も置かずに,メンバーのボランティア活動で軽やかに処理している.
 また,国際委員会「The RoboCup Federation」及び「ロボカップ日本委員会」ともに,法人格としてNPOを選択することで,監査等の手続きの簡素化や維持コストの低減を図っている.

 

6.客観的な競争の場

 ロボカップでは,年1回の世界大会を頂点に,世界各国で様々なレベルの競技会が開催されており,日本においても,年1回の公式戦であるジャパンオープンの他に,春秋のキャンプ等の練習会が行われている.これらの競技会は,多くの観衆を集めるだけでなく,参加者による技術評価の場として機能している.
 結果が即時に明確に示されるような競争の場が存在し,そこで勝利を収めることに,経済的,社会的又は政治的に大きな意義がある場合,技術は,急速に進歩してきた.代表的な例としては,自動車の場合のレースや航空機の場合の戦争を思い浮かべていただければよいだろう.
 その理由としては,単に競争という熱狂の中で大量の研究資源が投入されるだけでなく,先進技術(最高性能を競う段階の高度技術)の場合には,競争相手との比較を通じて,要素技術間の研究資源の配分の調整が容易になされるためと考えられる.また,先端技術(方法論が確立されていないような高度技術)の場合には,あたかも生物の生存競争のように様々な技術的発想の中で淘汰がなされることで,最適とは言えないまでも効率的な進化経路をたどるものと考えられる.
 さらに,前述のE.レイモンド氏が礼賛するところのハッカー文化における贈与・寄付による名声の取得よりも,競争の場における勝利の栄誉の方が研究者のモチベーションを高めることは明らかであろう.

 

U.遺伝的研究開発マネジメント

1.計画主義的研究開発マネジメントの問題点

 我が国において,ナショナルプロジェクトを代表とする従来の大規模研究開発プロジェクトで採用されている計画主義的研究開発マネジメントには,一言でいってHeavy & Rigid という欠点があるといわれている.ナショナルプロジェクトを例にとると,競争原理を導入し,無駄のない研究開発を行うために,立案段階から終了後のフォローアップまで,会議,査定,制度,組織,計画,事前評価,公募,審査,成果,報告,会計検査,モニタリング,成果,効率,中間評価,事後評価・・・・・という言葉が並び,ロボカップとは別世界のような厳密な管理が行われている.
 その一方で,中小企業の技術者や学会内で地位を確立していない若手研究者のアイデアを取り上げることは難しくなっている.また,発案から研究開発の開始までに2年程度かかってしまうため,ドッグイヤーとも言われる技術進歩の速度を考えると,時機を失してしまう恐れもある.さらに,大量のペーパーワークが求められるため,研究者の負担が大きくなるとともに,管理組織の肥大化を招きやすい.

 

2.LINUXモデルの限界

 1991年にL.トーバルズ氏が開発したLINUXは,マイクロソフト社のWindowsに対抗するOSとして脚光を浴びているが,研究開発の管理手法としてのLINUXの優れた点は,草の根方式とオープンソース方式を組み合わせた点にある.これにより,インターネットを通じて大学,民間企業を問わず世界中の研究者の頭脳を無料で利用できるようになり,短期間で安定性を向上させるとともに,新しい機能を追加するバージョンアップを驚異的なスピードで行っている.このLINUXモデルは,多くのソフトウェア開発プロジェクトにおいて,膨張する研究開発費の抑制と製品化のスピードアップに大きな効果を発揮する管理手法であると考えられ,米国等で注目されている.
 しかしながら,LINUXモデルは,ソフトウェアの開発の世界でしか通用しない.何故ならば,ハードウェアの世界では,草の根方式により各地で別々に開発された新たな機能をソフトウェアのように単純に追加していくことはできない.スペース配分の問題もあるし,全体バランスの見直し等もあるからである.また,その改良が本当に採用に値するものなのか性能を実物試験することも欠かせない.さらに,革新的な機能追加であればあるほど,設計の根本から見直すことも必要となるからである.

 

3.遺伝的研究開発マネジメントとは

 ロボカップは,LINUXモデルに客観的な競争の場を取り入れることで,草の根方式をハードウェアを伴う研究開発にも適用できるようにした点で画期的なものとなっている.このロボカップモデルの本質は,遺伝的アルゴリズムならぬ「遺伝的研究開発マネジメント」にある.
 「遺伝的研究開発マネジメント」とは,研究開発目標に向けて,無数の研究チームが図1のようなサイクルを自動的に繰り返すシステムを構築することで,研究開発目標の効率的な達成を図るものである.

 

図1 遺伝的研究開発マネジメントの流れ


 なお,遺伝的アルゴリズムにおいては,あまりに遠い目標を与えると進化が遅くなるため,比較的近い暫定目標を与え,進化に合わせて目標を引き上げるというムービング・ターゲットという技法を導入することがある.
 「遺伝的研究開発マネジメント」においても,同様の技法を採用する必要がある.ロボカップの場合も,現在,車輪型の自律型ロボット5台以内で1チームが構成され,照明が制御された室内で競技が行われるなど,現在の技術水準に合わせたルールで競技が行われている.今後,2足歩行技術や画像認識技術やアクチュエータ等の向上に合わせて,徐々にFIFAルールに近づけていき,人間チームとの対戦を可能にすることになる.

 

V.遺伝的研究開発マネジメントの有効性

1.研究開発速度

 先端技術(方法論が確立されていないような高度技術)の場合,遺伝的研究開発マネジメントの方が計画主義的研究開発マネジメントに比べて,長期的な目標に早く到達することが期待できる.何故なら,立案の時点では最適と思われた計画も最終目標に達する最適の経路であるとは限らない.遺伝的研究開発マネジメントならば自律的に軌道修正がなされ,結果として,より短い時間で目標を達成することが期待できる.また,計画主義的研究開発マネジメントの場合,計画の立案や変更に時間を要することにも留意する必要がある.
 ロボカップが遺伝的研究開発マネジメントの初めてのケースであるため,遺伝的研究開発マネジメントによる目標達成済みの事例はない.しかし,各国の成績推移を見ると,参加国と参加チームが増大するとともに,シンガポール,イラン,ポルトガル,中国といった,従来,知能ロボットの研究実績がそれほどなかった国々の技術水準が急速に進歩している.これは,遺伝的研究開発マネジメントの有効性を示す傍証といえるのではないだろうか.

 

図2 研究開発の発展経路

 

2.研究開発コスト

 計画主義的研究開発マネジメントと遺伝的研究開発マネジメントを比較して,どちらの方が費用対効果が大きいかは,現時点では判断できない.前者の方が研究内容の重複を排除できるため,研究開発費を節約できるという見方もできる.一方,後者の方が管理経費が少なくて済むとも考えられる.
 先端技術(方法論が確立されていないような高度技術)の場合には,結局,予想を超えるような独創的な成果(ブレークスルー)が資源集中投入によって生まれるのか,研究者各自の自由な発想に委ねることで生まれるのかという哲学的な問題に帰着するように思われる.
 ここで,オープンソース方式では研究開発コストを回収できないのではないかという懸念についても触れておく必要がある.
 現状では,ロボカップに参加する研究機関が研究開発費を自主調達し,ボランティアが組織運営を支えているため,ロボカップは,研究開発コストの回収を気にしなくても良い状況にある.しかし,目標達成が視野に入って来る段階では,大学に代わって民間企業が研究開発の主体となり,研究開発コストの回収方法が問題となってくることが予想される.
 実は,R.ストールマンが1985年にオープンソース方式を提唱する前に,ビジネスの場でオープンソース方式を採用し,成功した事例があった.それは,日本ビクターが主導したVHSプロジェクトである.VHS陣営内では特許等を低廉なオープンソース方式とし,新規加入もオープンであったことが,1976年のVHS登場から短期間で3倍モード録画技術(1979年)やハイファイ録音技術(1980年)の開発につながり,ソニーが主導するベータ陣営に勝利する原因となったといわれている.そして,これらの技術を開発した企業は,市場の急拡大で相応の対価を速やかに得るとともに,VHS陣営に参加した各社は,研究開発費を大幅に節約できたのである.
 このように知的所有権をプールして有償開放するオープンソース方式は,その後も綿々と続いており,有名なところでは,B.フタ氏の提唱で1992年に結成されたMPEG-LA(MPEG Licensing Administrator)がある.MPEG-LAは,MPEG2の必須特許を保有する世界の主要企業と米コロンビア大学で構成され,DVD機器の普及等に大きな貢献をしている.その成功の原因として,いずれの企業に対しても同じスタンスで臨むことができる中立機関としてのコロンビア大学の存在が指摘されている.
 これをロボカップに当てはめれば,現在,ルール作り等を通じて競争の場の運営をしているNPO組織がその信頼と実績の上に,ロボカップの研究成果を共同管理する組織に成長していくことになる.そのNPO組織がロボカップに関する研究成果を調査し,重要な発明や必須技術を保有する企業等を選定し,それらの企業等との間で知的所有権の預託契約を結ぶ.そして,必須技術の知的所有権のパッケージを低廉なライセンス料で希望するすべての企業に開放することになる.これにより,受入企業は,開発企業1社1社と契約手続きを行う煩雑さから逃れ,また,ライセンス料も安く済むことから,知能ロボット市場への参入が容易になる.一方,開発企業は,知能ロボットの市場の急拡大により,低廉なライセンス料でも研究開発コストを回収できるようになる.
 このように,遺伝的研究開発マネジメントを民間企業が採用した場合でも,知的所有権を共同管理する中立的な組織を関与させることで,市場のテークオフ期においては,ビジネスモデルとして成立するものと考えられる.また,この10年間で電機業界を中心に,保有特許の有償開放を宣言する企業が増加している.知的所有権を使って市場を独占するよりも,参入企業の増大によって市場を活性化した方が開発企業にとっても利益になるという考え方が定着してきており,遺伝的研究開発マネジメントが普及する素地は十分にあると思われる.